お遍路を思い立たれた方は、最初に東寺に赴き弘法大師 空海に発願のご報告をなされます。
そして、全てを終えると高野山で結願のご報告をされます。
その手には金剛杖。
弘法大師 空海の分身といわれています。
そして背中には「同行二人」の文字。
弘法大師 空海と共に歩むと解釈されています。
弘法大師が一緒に歩み、導いてくれると。
弘法大師 空海に惹かれ、学び、調べていくうちに「同行二人」の考えられている意味に疑問を持ちました。
お遍路も修行の内。
自らに課した修行に、弘法大師のお導きなどと他人任せの甘さがあって良いはずがないと。
「同行二人」の意味とは、おそらくこういうことなのだろうと考えます。
弘法大師 空海と一緒に歩む(修行)とか導いてもらうなど傲慢にすぎます。
しかし弘法大師が歩まれた同じ道を行くことならできます。
同じ道(心の持ち方・生き方)は、想像もできないくらい厳しく辛い道であるはずです。
それでも言い訳せず、逃げることなく、真摯に歩み続けていきます。
つまり自らに課した覚悟の言葉なのだと思うようになりました。
そう考えるようになった理由は、弘法大師 空海の凄まじいまでの生き方を知ったからでした。
そのことを、このサイトにまとめています。