京都観光ガイドの現場からヒトコマをお届け。
ほっこりする話や、タメになる話や、どうでもいい話など...
藤原定家の敵はススズバチとマムシ?だったかも...という話
小倉百人一首の選者であり、和歌や源氏物語の写本でも名高い藤原定家。
その藤原定家が小倉百人一首を選んだ場所とされる庵跡が嵯峨野の二尊院の敷地内にあります。
名称は「時雨亭」といいます。
最初にお断りしておきますが、藤原定家が小倉百人一首を編纂した場所とされるのは、嵯峨野に複数個所あります。
今日は、その二尊院の庵跡を訪ねた際のヒトコマです。
私:ここから少し山道になりますから、お足もとにお気を付け下さい。
観光客Aさん:えぇ~、まだあるんですか?
あと何分で着きます?
観光客Bさん:そないな子供みたいなこと聞くなよ。
ガイドさん、あと何メートルありますか?
私:まぁまぁ、大丈夫ですよ、もう少しです。
ここまでは急な階段を上がってきましたが、ここからは道自体は平坦ですから。
観光客Aさん:なんとまぁ、えらいところに住んではりましたな。
食事とか、どないしてはりました?
私:藤原定家ぐらいになると、身の回りの世話をするお付きの人がいたでしょうから。
本人は和歌に集中していたんだろうと思いますよ。
あぁ、到着です。
ここが庵跡、つまり時雨亭があったとされている場所です。
観光客Bさん:ほんまや。
意外と狭苦しいところに居はったな。
私:この辺にはスズメバチやマムシが出るらしいので、気を付けて下さいね。
観光客Aさん:ほんまかいな!
こりゃ、かなわんで。
はよ帰ろ、帰ろ!
観光客Bさん:それにしても定家さん...
よう生きとったなぁ...