【二条城の不都合な真実】京都観光ガイドでのヒトコマ集

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京都観光ガイドの現場からヒトコマをお届け。

ほっこりする話や、タメになる話や、どうでもいい話など...

二条城には不都合な真実がいっぱい!

京都市内にある唯一のお城「二条城」。

二条城は幕末までは徳川家のものでしたが、その後明治新政府に接収され、さらに京都市に払い下げられています。

その二条城、いろいろ誤解が独り歩きしており、実はガイドするのも頭痛のタネだったりします。

  • 二条城は朝廷にプレッシャーを与えるために、あえて京都御所の近くに建てた
  • 鴬ばりの廊下は侵入者(忍者?)を探知するための仕組みである
  • 二の丸御殿は賊が侵入した時のために曲がりくねった部屋の配置にしている
  • 二条城には敵に攻められた際に耐えられるように防御システムがしっかり造り込まれている
  • などなど

とりわけ最大の誤解が二条城を「大政奉還の舞台」だとしていることです。

京都市はなぜか「大政奉還の舞台」というキーワードをやめることができません。

例えばテレビニュースでも京都市の情報に拠ると、こんな感じになります。

二条城 中学生が「MR=複合現実」技術で大政奉還を体験動画

京都市中京区にある世界遺産の二条城は、江戸幕府の最後の将軍、徳川慶喜が政権を朝廷に返上する意思を伝えた大政奉還の舞台になりました。

二条城 中学生が「MR=複合現実」技術で大政奉還を体験|NHK 京都府のニュース

二条城は当初、宿泊施設として建造され始めましたが、天皇を接待する施設に目的が変わりました。

徳川家が天皇をもてなす迎賓館という例えが最も適切かと思います。

理由はただ一つ、征夷大将軍に任命してもらうためだったのです。

それが証拠に、将軍職が徳川家の世襲制に確立すると、朝廷も京都も二条城も用済み!

将軍は幕末まで京都に来ることもなくなり、二条城は物置だったのでした。

そんなわけで二条城を「城」と呼んでいても、武家建築様式(建築スタイル、デザイン)上での「城」であって、二条城は戦うことなど想定していません。

櫓や城壁に弓・鉄砲狭間がありますが、お城らしい雰囲気をもたらすためのデザインに過ぎません。

宇治の平等院の鳳凰堂の二階部分や、日本中にある五重塔の各層に欄干(手すり)がありますが、人が歩ける空間ではないのに付いているのと同じで、建築意匠(デザイン)なのです。

実際、二条城に行けば自明なのですが、櫓や城壁から弓・鉄砲を放たねばならない状態に敵が押し寄せているようでは、すでに勝負詰んじゃっています。

昔の人たちは、そんなに愚かではありません。

前置きが長くなりました。

今回は、そんな二条城の不都合な真実の中から「大政奉還」の話です。


私:ここが二条城の二の丸御殿の大広間です。

生徒Aさん:ガイドさん、テレビで見たけど「大政奉還の間」ってここじゃないんでしょ。

私:はい。社会の資料集に出てくる「大政奉還」という絵はもう少し奥の黒書院と言う部屋を描いたものです。

頓田丹陵筆『大政奉還』(聖徳記念絵画館蔵)(奥の人物は徳川慶喜、場所は二の丸御殿黒書院):出典(二条城 – Wikipedia

生徒Bさん:あぁ、そうなの?

  でも、この部屋に人形が並べてあるじゃない。

私:二条城を管理している方の説明では、将軍が対面する様子を表している人形だそうですよ。

  つまり大政奉還の場面を表現した人形ではないということらしいです。

生徒Aさん:ふーん、紛らわしいわね。

  それにしても大広間って割に将軍の居場所が広すぎて、大名たちは大して入れないわね。

私:将軍に絶対的な権威があるという演出ですね。

  残されている記録でも、将軍は一度に数人にしか対面しなかったようですよ。

  ところで、将軍のいる「一の間」と、対面者がいる「二の間」で様々な演出がされているけどわかります?

生徒Bさん:床の高さが違う、天井も二重に高くなっている、障壁画の松の枝ぶりが将軍の方へ...

生徒Aさん:そんな事より早く、ホントの大政奉還の間に行きましょうよ。

私:いや、黒書院には何も置いてないですよ。

生徒Aさん:えー、やだぁ、大政奉還の場面見たかった!

私:そうかもしれませんけど...

  大政奉還の場面というなら、むしろ徳川幕府が政権返上を伝えた京都御所になりますね。

生徒Bさん:そりゃそうかぁ。

  じゃぁ二条城は何なの?

私:諸説ありますが、大政奉還する前に全国諸藩に通達した場所になります。

  例の「大政奉還」の絵は、話を聞いた何人かが徳川慶喜に面会した場面の想像画です。

生徒Aさん:面会? 想像画?

私:えぇ、直接将軍に会って、大政奉還の決断を称賛したと記された日誌があったからです。

  ただ、当時のことですから日誌に記載されているからと言って事実とは限りませんよ。

  人伝いに聞いた誤情報とか、話を盛った日誌や記録など山ほどありますから。

  将軍に対面したと国元に報告すれば「仕事してるな」と思ってもらえるとか...

  逆に徳川慶喜が大政奉還の宣言したという確かな記録はないんです、面白いもんですね。

生徒Aさん:なにそれ、ちっとも面白くないわよ!

  がっかりだわ。

私:そんなこと言わないで下さいよ。

  二条城には大政奉還云々とは関係しない、ものすごい価値があるんですよ。

  お城の御殿で、当時のまま現存しているのは日本中でも二条城だけなんです。

  しかもこれだけ芸術的価値を保った状態で現在も存在しているのは、ほとんど奇跡です。

  他のお城の御殿は、燃えてしまったり、取り壊されたりで残っているものが無いんですよ。

生徒Bさん:確かにねぇ、そう言われると、立派に見えてくる...かも。

生徒Aさん:なら、この紛らわしい人形、要らないわ!

私:まぁ、まぁ。

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