2024年(令和六年)2月の京都から

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2024年(令和六年)2月7日(水)の話題

2月7日は大覚寺の話題。

嵯峨野の大覚寺の広大な境内に拡がる大沢の池。

中秋の名月では大沢池に舟を浮かべて月を愛でる「観月の夕べ」で有名ですよね。

こんな感じです。

その大沢池に新たな橋が架けられ、昨日(2月6日)に完成を祝う式典が執り行われました。

NHK京都放送局のニュースで取り上げられ、公式サイトのニュース映像で真新しい橋を見ることができます。

※今時点の大覚寺公式SNSでは式典の模様は掲載されていません。

ちなみに大沢池、「おおさわいけ」と漢字では書きますが「の」を入れて「おおさわのいけ」と読みます。

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「ん? 橋? 大沢池に?」

最初から説明した方が良いですよね。

大覚寺の境内は広いので、建物を拝観したら五大堂の池舞台から大沢池をひとしきり愛でて終わりです。

なので橋と言われても「そんなもんあったっけ?」です。

また、

「こんな広い池があったから、ここに大覚寺を建てたんですね」と思われるかもしれません。

でも、これ、人造池なんです。

大覚寺のために(嵯峨天皇のために)、わざわざ人の手で造った池なんです。

そしてこの大沢池には島が2つ、池に浮かべた石(浮かんでいるように置いた石)が1つあります。

それが天神島と菊ヶ島、庭湖石です。

これらは大沢池の北側(奥の方)にまとまってあるので、反対側となる五大堂の池舞台からですと印象が薄いんです。

そして橋ですが、もうすでに天神島には橋が架かっているんです。

こんな橋:

この赤い欄干の橋は天神島を中心にみると西側に架かっています。

今度の新しい橋は「名古曽滝跡(なこそのたきあと)」方向、つまり北側に架けられました。

その名も「名古曽橋」。

「鎌倉時代の絵図に描かれた橋とか言ちゃって...どうせテキトーに造ったんでしょ

なんて不謹慎な想像してはいけませんよ。

しっかり発掘調査までやって架けた由緒正しい立派な橋なんです!

ここは大覚寺の名誉のためにもしっかり言い切っておきます。

という話題なんですが...

大沢池の謎だけでなく、天神島がなぜあるのか、菅原道真や北野天満宮がなんで関係しているのか?

とか、

名古曽滝、菊ヶ島、庭湖石ってそもそも何?

など、お話ししたいことはてんこ盛りです。

話は尽きませんがここは日々の話題についてなので、今日はこの辺で...

と言いつつ、最後にもう一言。

菅原道真(天神様)をお祀りしている大沢池の天神島、実はお墓らしいですよ。

これは風説や噂ではなく大覚寺公式見解です。

マジです!

2024年(令和六年)2月6日(火)の話題

2月6日は再び若草山焼きの話題。

今年の若草山焼きを最初から最後までを公式カメラがとらえた動画が公開されました。

それがこちら:

【公式】令和5年度若草山焼きライブ配信(完全版)

1時間13分強あります。

山焼きの全貌だけでなく花火などもしっかり撮影されています。

ほら貝の音色や読経、会場アナウンスなども聞くことができます。

これはスゴイ!

さすが奈良公園【公式】。

「これならわざわざ人ごみの中に出かけなくても、動画ライブ配信見ている方がいいじゃん。」

「いや、後で早送りして見れば時短にもなるなぁ。」

なんて言わないでネ。

その場でしか味わえない臨場感と言いますか空気感もありますよ。

あぁ、そうだ、当日行くのと後から動画の両方見ましょうよ。

2024年(令和六年)2月5日(月)の話題

2月5日は下鴨神社の話題。

下鴨神社の美しすぎるレースのお守り(ストラップタイプ)の桜バージョンが登場するそうです。

ただし、3月から!

では3月までは?

つまり2月の今はどうかといいますと、雪の結晶のお守りは売り切れてしまったそうです。

あらら...

その雪の結晶のお守りはこちらでした。

さらに雪の結晶のお守りの前の「秋(紅葉)のモチーフ」というのはこちら。

私の思うに下鴨神社の「レース生地のストラップ型の御守」はこれが最初ではないかと思います。

「レース生地のストラップ型の御守となひます。」ってカワユイ!

ところで、このお守りの変遷を勝手に分析してみますと

  • 11月:秋(紅葉)
  • 12月・1月・2月:冬(雪) ※ただし2月頭に売り切れ
  • 3月・4月:春(桜)

では5月からは何になる?

って思いませんか?

ズバリ5月は「葵」。(← 個人的予想デス)

なにせ5月は葵祭のある月だし、しかも下鴨神社ですから!

以下ミルクボーイ風:

2024年(令和六年)2月4日(日)の話題

2月4日は寅の話題。

こちらは奈良のお寺の話ですが、被災地支援のための御朱印授与が始まりました。

その御朱印は「寅の御朱印」。

「寅? 寅って虎だよね、今年は辰年だから龍じゃないの?」

って思いますよネ。

今年は辰年なんですが、2月は「寅の月」ということなんです。

しかも信貴山朝護孫子寺は寅に縁があるお寺ですので「寅の御朱印」。

もちろん昨年の「アレ」の際には阪神タイガースの特別御朱印も登場しました。

京都は?

寅に縁があるとなると勝林寺。

勝林寺でもアレの特別御朱印がありましたし、この2月に「寅」の御朱印授与もなされます。

しかも「初寅」!

毘沙門天をお祀りする寺にとって「初寅」は1年で一番大事な日ともいえるものです。

もちろん参拝する方にとっても最高に縁起の良い日。

ただし「初寅」の解釈は新年最初の寅の日とする場合と、勝林寺のように立春後の初めての寅の日とする場合があります。

どちらが正しいというようなことではなく、両方の寅の日に参拝すると最高が2倍になる!かもデス。

追伸:

今日の話題は奈良のお寺でしたので、先日話題にした奈良の春日大社の「節分万燈籠」についても。

春日大社の公式SNSで節分万燈籠の模様が動画で掲載されました。

私は行けなかったのですが、動画からも厳かな雰囲気を感じ取れます。

来年こそは!

2024年(令和六年)2月3日(土)の話題

2月3日は節分の話題。

いよいよ節分本番を迎えました。

神社やお寺で節分会がおこなわれ邪気が払われ京都に春がやってきます。

「鬼は外、福は内」

ところで京都ならではの節分の参拝方法があります。

それが「節分の四方参り」

少し補足しますネ。

鬼が現れるのは「鬼門」から。

鬼門にはお聞きになったことがあると思いますが表や裏があります。

それは方向を指してもいます。

鬼は先ず表鬼門(北東方向)の吉田神社に現れます。

そこを追われてると風門(南東方面)の八坂神社に現れます(伏見稲荷大社とする場合もあります)。

更にそこを追われて裏鬼門(南西方面)の壬生寺に現れます。

ここでも結局追われることになります。

やれやれ鬼も大変ですネ。

そして最後に天門(北西方面)の北野天満宮に現れます。

鬼もついにここで最後を迎えるわけです(具体的には封じ込められ祓われる)。

ところが北野天満宮といっても、祓われる場所は本殿ではなく摂社の福部社(ふくべしゃ)です。

北野天満宮では芸舞妓さんの豆まきや狂言など演じられるものですから、本殿参拝して大満足。

「さて、帰ろうか」と終わりになりがちです。

もちろん本殿に参拝することは良いことですが、せめて節分では福部社参拝を忘れないでネ。

三光門の手前にありますが、いつもは素通りしています。

・・・・・・・・・・・

ということで節分の参拝のおさらい。

いつもの神社やお寺に参拝することで十分です。

ただ京都の「節分の四方参り」をお試しになるなら以下の順番で参拝しましょう。

  • 吉田神社
  • 八坂神社(または伏見稲荷大社)
  • 壬生寺
  • 北野天満宮(福部社は必須)

2024年(令和六年)2月2日(金)の話題

2月2日は愛宕神社の話題。

初めて御朱印帳を作られたそうです。

愛宕神社で授与される御朱印は五種類。

「本能寺の変」の意を決したと言われている明智光秀の愛宕山籠の際の御朱印もあります。

「御参拝の証として神符と併せてお受け下さい。」

と記載されているのは、現在多くの方が愛宕神社に参拝して「神符」をいただいているためです。

もっと言うと「神符」をいただくためにあの山登りをしているのです。(少なくとも私の周りの京都人)

その「神符」、つまりお札なのですが「火迺要慎」(ひのようじん)と書かれたもので大小2種類あります。

これを自宅内(台所など火を使うところ)に祀って火事にならないようにお守りしていただく訳です。

いったん始めると、愛宕神社のお札をいただかないと火事になりそうで心配になりますよ。

ところが...

私の知っているお宅で2軒、愛宕神社の御朱印をお札同様に自宅内に掲げていらっしゃる方があります。

ご本人曰く「日付が入っているので、また来年までの目安になる」とのこと。

なるほどねぇ、たしかに...

2024年(令和六年)2月1日(木)の話題

2月1日は梅の話題。

早いものでもう2月ですネ。

でも、時の流れを早いと思っているのは人間だけのようで、京都市内各所ではすでに梅が咲いています。

梅と言えば、北野天満宮、そして天神様こと菅原道真です。

北野天満宮では本日2月1日より梅苑「花の庭」が開苑です。

梅苑「花の庭」にあわせて特別な御朱印も授与されます。

もう一つ、こちらも。

菅原道真と言えば、この和歌がお約束ですね。

「飛梅伝説」のあの梅を詠んだ歌です。

大人の方のガイドではさだまさしの「飛梅」の歌を持ち出すのですが、修学旅行生では知っている生徒さんは皆無です。(そりゃそうだ)

実は「飛梅」の伝説では意外なことも伝えられています。

さて、この有名過ぎる飛梅の和歌、意外なことに百人一首には選ばれていません。

百人一首に選ばれている菅原道真の和歌はこちら:

このたびは 幣も取りあへず 手向(たむけ)山
紅葉の錦 神のまにまに

菅家(24番)、『古今集』羈旅・420

ということで、こちらも有名。

百人一首だけでなく古今集にも選ばれているぐらい有名なので、昔から様々に解釈・分析がされてきています。

歌の意味だけでなく、歌が詠まれた場所にも諸説あり、なんです。

御幸の行き先である奈良県吉野郡吉野町の「宮滝」説や、御幸途中の京都と奈良の間の山(峠)説など。

奈良の東大寺境内続きにある手向山八幡宮(手向山神社)にもこの歌を詠んだという場所があります。

手向山八幡宮のスゴイところは話だけでなく、歌を詠んだ際に菅原道真が座っていたという石まであります!

修学旅行の生徒さんを東大寺に案内する際、時間に余裕がある時は手向山八幡宮にまわり、この話をします。

皆さん「すげぇ~!」、「マジっすか?」

はい、マジです。( ← 本当かどうかは知りませんけど...)


【2024年2月5日 追記】

九州の太宰府まで飛んで行った「飛梅」。

太宰府天満宮の御神木になっています。

今年も美しく咲いているようです。

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